勝負の世界では、体格や筋力、実績で勝る選手が「強い」、劣る選手が「弱い」と見られがちですが、技術や戦略、相性で逆転することもあり得るのが醍醐味。
その様を表した「柔よく剛を制す」という言葉もよく知られていますね。
しかしながらこの言葉は嘘で、結局「剛」に勝つことはできないだろうと感じている方も少なくないようです。
今回は「柔よく剛を制す」という言葉の真偽や本質的な意味についてご紹介します。
「柔よく剛を制す」の意味
「柔よく剛を制す」とは、文字通り「柔軟性を持つものはそのしなやかさをもって、剛強なものを制することができる」といった意味をもつ言葉です。
現代では柔道をはじめとした武道において重要な考え方とされ、力や体格で劣る人であっても、技術やしなやかさ、つまり相手の力や勢いを逆に利用できれば勝利を得られることを表しています。
由来・起源は中国の兵法書「三略」
「柔よく剛を制す」という言葉は、中国の兵法書である「三略」に記載された一節が由来となっています。
三略とは、古代中国における兵法書の代表格である「武経七書」の内の1つ。
その他の書には世界史でも学習することの多い「孫子」や「呉子」などが並び、中国武官の登用試験においてもその内容が出題されるほどに、重要視されていたそうです。
三略は、現代でいう上・中・下巻にあたる上略、中略、下略の3巻から成り、その内の上略に「柔能制剛」と記述されています。
「小よく大を制す」ともいう
柔よく剛を制すから転じて、現代では「小よく大を制す」という表現をすることもあります。
意味としては近いものの、柔(柔らかさや技術)というよりも小(力や体格で劣る様)がより強調されている点が特徴的ですね。
語源ははっきりしていませんが、世界の国々と比べると体格で劣るケースが多い日本人でも、スポーツや武道で十分渡り合えることを示すための標語的な意味合いとして生まれたのではと推測しています。
「柔よく剛を制す」は嘘だと感じる人が多い
力や体格に自信の無い方にとっては、希望とも言えるこの言葉。
一方で実際には嘘のように感じる方、「柔は結局剛には勝てない」と考えている方も少なくありません。
嘘だと感じる方は、自身の体験や実際の試合を観戦した結果その考えに至ることが多いようですが、いくつかその根拠となる点を見ていきましょう。
柔が剛を制すなら、階級別制度は必要ない
武道や格闘技においては体重差によるハンディキャップをなくすため、多くの競技で階級制度が導入されています。
一例として男子柔道の階級は、60キロ以下級〜100キロ超級に至るまでの7つ。
ここで疑問が生じますが、本当に「柔よく剛を制す」ことができるのならば、階級制度は必要なく、60キロ以下の選手でも100キロを超える選手を投げ飛ばせるということになります。
それが難しいからこそ階級が生まれたのであって、「柔よく剛を制す」が真実ではないことの表れと言えるのかもしれません。
成績上位の国々は体格に恵まれている
武道以外でも、体格差がそのまま強さに直結する競技は少なくありません。
イメージしやすい例として、バレーボールやバスケットボールにおいては「背の高い選手の方が有利」であることに疑う余地はないでしょう。
バレーボールを具体例にとってみると、2022年度の全日本代表選手の平均身長は
男子:190.29cm
女子:174.74cm
となっています。
男女世界ランキングは、2022年5月時点で
男子:11位
女子:9位
比べて男子で世界1位、女子で世界2位のブラジル代表選手の平均身長を見ると、2021年のデータとなりますが、
男子:198.8cm
女子:183.4cm
といずれも10cm近い差があることがわかります。
もちろんブラジルの選手が、日本に劣らない「柔」を身につけていることは間違いないでしょう。
とはいえ、これらのデータを見ると、「柔」だけでは辿り着くのが困難な「剛」の壁が立ちはだかっていることは想像に難くありません。
さらに視点を変えると、「そもそも平均身長を大きく下回る選手が代表入りすることは難しい」という、代表選考時点での「剛」の壁があることもわかりますね。
「柔よく剛を制す」には続く対義語があった!
それでは「柔よく剛を制す」は全く参考にならない言葉なのでしょうか?
実はこの言葉には続きがあり、もとより「柔を極めれば剛と戦える」ことだけを伝えるのではなく、「柔と剛の両方を兼ね備えるべき」であることを示す言葉なのです。
「剛よく柔を断つ」と続く
「柔よく剛を制す」という言葉には、「剛よく柔を断つ」が後に続くとされています。
「剛強な力は、柔軟性のあるものを断ち切ることができる」という意味をもち、対義語とも言える言葉です。
この言葉は元々の起源である「三略」にはないものの、一説には日本の柔道の父であり、武道の理念を用いた教育で功績をあげた嘉納治五郎氏にルーツを持つとされています。
嘉納治五郎氏が柔道において説いたのが、柔と剛の両方を会得せよという「柔剛一体」。
この言葉をより詳しく説明するために中国古典から引用した「柔よく剛を制す」に続く、「剛よく柔を断つ」という対句が生まれたようです。
また、「三略」においても決して「柔」を極めよとは記述されておらず、「国家は柔と剛を兼ね備えてこそ成功し、どちらかに偏ると衰退する」と説明されています。
つまり「柔よく剛を制す」という言葉は、決して柔と剛に優劣をつけたり、柔を極めることの必要性を説く言葉ではありません。
この言葉のみを切り抜くと嘘のように感じるのはある意味当然なのです。
柔も剛も両方身につけることが大事!
柔は技術、剛は体格と考えると、剛は努力で身につけることが難しく、それゆえ「剛が重要」と考えられがち。
ですが、仮に体格に大きな差がなかった場合に、勝敗を分けるのが技術であることに疑う余地はないでしょう。
逆もまたしかりで、技術が拮抗している場合は基礎練習や栄養管理、トレーニングによって培われた力の差が現れることもあります。
「柔よく剛を制す」、体格に自信ない方にとって耳あたりの良い言葉ではありますが、柔を極め剛を疎かにするのではなく、できる限りの剛を身につける、この姿勢を続けることでこそ「柔も剛も制す」可能性が生まれるのではないでしょうか。